研究活動Pick up
Research Activities
2024.05.30
機能的な人工複合物質創造に向けた理論的研究 – スピントロニクス実現を目指して –
工学部 機械電気システム工学科
羽部 哲朗 助教
パソコンやスマートフォンをはじめ、多くの電子機器で情報処理や機器の制御を担っているのが半導体を用いた小さな電子部品です。これらの電子部品に関わる材料特性から制御方法まで様々な研究領域を総称して“半導体エレクトロニクス”と呼び、現代の私たちの暮らしを支えている存在と言っても過言ではありません。しかし、これらはエネルギーの消費が大きく、環境負荷が高いことが問題とされています。そこで代替技術として研究を進めているのが、羽部先生が研究するスピントロニクスです。地球規模の課題に向き合う技術と、その可能性、そして、今後の展望について羽部先生にお話を伺いました。
Q1. 「現在、取り組んでいらっしゃる研究内容についてお聞かせください」
現在は、原子層物質と呼ばれる物質群を対象として、半導体エレクトロニクスにおける新領域のための材料開拓を理論的に行なっています。そのために、複数の原子層物質を用いた複合材料における電子の性質を理論的に研究しています。特に、スピントロニクスという次世代エレクトロニクス実現のための新奇な人工構造の理論提案を主たる研究目標としています。スピンはすべての電子が持つ小さな磁化で上向きと下向きの2種類の電子が存在しています。このスピンを利用したエレクトロニクスがスピントロニクスです。
Q2. 「この研究に取り組むきっかけや背景を教えてください」
現在、われわれの生活は半導体エレクトロニクスによって支えられており、そのあらゆる場面で電気的な情報処理や機器の制御がこの技術によって行われ便利な生活が成り立っています。しかし、この電気的な情報処理によるエネルギーの消費は大きく、環境への負荷が問題となっていることは周知の事実だと思います。そこで、電子の持つスピンという磁石のような性質を利用した新しいエレクトロニクスであるスピントロニクスに注目が集まっています。スピントロニクスにはさまざまな利点がありますが、その一つはこの消費エネルギーの問題を解決しうる技術であるという点です。そのため、現在でも盛んに研究が行われています。ですが、既存のエレクトロニクスにはスピントロニクスと比較して非常に優れた点があります。それが、安価で加工しやすくさらに性能の高い材料シリコンの存在です。そこで、スピントロニクスの社会への実装に向けて、新奇材料の探索を行うことで研究成果の社会への還元を目指しています。
Q3. 「研究の詳細を教えてください」
ここでは、最近の研究成果である2種の原子層NbS2とMoSe2またはNbS2とWSe2を使用したファンデルワールス-ヘテロ構造におけるスピンホール伝導度の倍増効果の理論予測[1]について解説します。
―原子層物質とファンデルワールス-ヘテロ構造―
原子層物質は非常に薄いシート上の結晶が積層してできた多層構造を持つ物質の総称で、基礎研究のみならず応用上も大きな注目を集めています。この原子層物質は決して珍しいものではなく、私たちの身近にも存在しています。例えば、鉛筆の芯はグラファイト(黒鉛)でできていますが、このグラファイトも原子層物質の一つです。鉛筆で線が描けるのは、紙にグラファイトをこすり付けることで、このシートが剥がれて付着するからなのです。紙に付いたグラファイトは非常に薄いように見えますが、それでも非常に多数の炭素でできたシートが重なっています。本来、このシート1層の厚さは1cmの1億分の1程度しかありません。これは、原子の半径と同程度であり、そこから原子層という名前が付けられました。近年、原子層物質からシート1層を剥離・再積層することが可能となり、異なる原子層物質から取り出したシートを重ねた人工的な構造である”ファンデルワールス-ヘテロ構造”(下図)というものが注目を集めています。[2] この構造が注目を集めた大きな理由は、この構造中の電子は元となる物質中とは全く異なる性質を獲得することが明らかとなってきたからです。このような特性は、目的に対して適した物質を探すという従来の材料科学のアプローチから脱却し、さまざまなシートを組み合わせることで新たな材料を創造するという新たな材料科学への転換を意味しています。
![](https://www.kuas.ac.jp/wp-content/uploads/sites/7/2024/04/habe_zikai01.png)
―遷移金属ダイカルコゲナイドとスピンホール効果―
本研究で対象としたMoSe2、WSe2やNbS2も遷移金属ダイカルコゲナイドと呼ばれる原子層物質です。遷移金属ダイカルコゲナイドは身近なところでは潤滑剤として使用されていますが、これも1層を剥離し単層化することで特別な効果を発現します。その起源となるのが、層内部に存在する電子のスピン-バレー結合という特異な性質です。[3] このバレーというのは特定の物質中でのみ電子が獲得する指標で、電子の運動に影響を与えます。詳細は省きますが、単層化された遷移金属ダイカルコゲナイドはこのスピン-バレー結合に起因してスピンホール効果と呼ばれる現象を発現します。この現象は物質に電圧を掛けるとその勾配と垂直にスピンの揃った電子の流れが生まれるというもので、スピン制御を必要とするスピントロニクスにおいて重要な物理現象の一つです。このような性質のために、遷移金属ダイカルコゲナイドはスピントロニクスへの応用が期待されているのです。
―ファンデルワールス-ヘテロ構造におけるスピンホール効果の倍増―
このように、スピンホール効果を通じてスピントロニクスへの寄与が期待される遷移金属ダイカルコゲナイドですが、応用には課題もありました。MoSe2やWSe2はもともと絶縁体でありスピンホール効果を得るには外から電子を注入してやる必要があります。もちろん、NbS2など性質が金属的で電子を注入しなくても、スピンホール効果を示す物質はありました。ですが、すべてに共通する問題としてシートを積層するとスピンホール効果がシートの枚数に応じて強まるどころか、減少してしまう点がありました。
このように積層によって有用な性質が弱まってしまう遷移金属ダイカルコゲナイドですが、本研究ではこれらを元にしたファンデルワールス-ヘテロ構造では逆に積層することでスピンホール効果が強まることを理論的に明らかにしました。[1] 実際に、スピンホール効果の大きさを数値計算によって見積もると、ヘテロ構造ではスピンホール伝導度が3〜4倍に増加することが明らかとなりました(下図)。
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このようなヘテロ構造における効果の増強は、積層する際のシートの重なり方が自然界にある原子層物質とは異なるものになること、また物質内部にある電子の分布がヘテロ構造によって変化することの2点に起因することも明らかとなりました。さらに、類似物質と比較することでこのスピンホール効果の増強の機構を明らかにし、これらの原子層が理想的な組み合わせであることも示しました。[4]この理論結果は、本研究で提案したファンデルワールス-ヘテロ構造が、スピントロニクスにおいて有用であることを示しています。
[1] T. Habe, Phys. Rev. B 107, L241404 (2023)
[2] A. K. Geim and I. V. Grigorieva, Nature 499, 419 (2013)
[3] D. Xiao, G.-B. Liu, W. Feng, X. Xu, and W. Yao, Phys. Rev. Lett. 108, 196802 (2012)
[4] T. Habe, Phys. Rev. B 109, 075308 (2024)
Q4.「その研究にはどのような意義があり、どのように社会とつながっていると考えますか?」
スピントロニクスに限らず新しい科学的な知見を社会に反映させるためには、デバイスが必要でありそれを構成する材料の役割は非常に重要です。例えば、現在のエレクトロニクスにはシリコンが必要不可欠です。スピントロニクスでは、まだシリコンに対応するような基盤となる材料があるわけではありません。その中で、原子層物質というよい候補があることを示すという点に本研究の意義があると考えています。また、機能的な材料を創造するというファンデルワールス-ヘテロ構造の可能性の例示という意義もあったと思います。
Q5. 「今後の課題、展望を教えてください」
本研究でも示されたように、原子層物質のファンデルワールス-ヘテロ構造は有用な機能を持つ人工物質を創造する可能性を秘めています。しかし、人口物質がどのような性質を発現するかは、個別の組み合わせに対して厳密な理論解析を行う必要があります。仮に、原子層の組み合わせと発現する性質に関して簡単に対応が分かる理論手法が存在すれば、そのような手法は積層材料開発にとって非常に有効な手段となるはずです。今後は、個別のファンデルワールス-ヘテロ構造の解析にとどまらず、一般的に原子層の組み合わせと必要な性能をつなげる理論の構築に取り組んでいきたいと考えています。
※記事に掲載している情報は取材当時のものです。