2024.09.17

心理学科 君塚教授が福岡県の高校生から「推し活」についてインタビューを受けました【人文学部】

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推しグッズを手に集まった福岡県立京都(みやこ)高校の探求学習のメンバーたち

2024年8月1日、心理学科 君塚洋一教授が福岡県立京都(みやこ)高等学校の生徒4人から、生徒らがすすめる「推し活」をテーマとした探求学習について、オンラインのインタビューを受けました。

現在、ファンがアイドルやアニメなどのキャラクターを応援する「推し活」という行為が広く行われています。

京都高校の生徒らは、「推し」に対して、自分たちが深くのめり込んだり、多くのお小遣いを費やしたりするのはなぜなのか、ファンの心理やこうした活動の影響について解き明かそうと、同校の石松久美先生の指導のもとグループ研究に取り組み、その一環として君塚教授にインタビューを実施しました。

芸術家の支援やアーティストの贔屓(ひいき)は、洋の東西を問わず、古くから行われてきた活動です。「推し」という言葉は、日本では1980年代に「グループアイドル」のメンバーのなかで誰を応援するか(「推しメン」)、その相手を指して使われるようになったといわれます。近年では、タレントやアニメ、ゲームのキャラクター、アスリート、広くは動物や建築物、企業のブランドに至るまで、ファンの熱愛や応援の対象を幅広く意味するようになっています。

インタビューでは生徒たちから、推しの対象がファンを惹きつける力は高校生の人生・生活にどんな影響を与えるか、推しへの過度の傾倒によって学校・家庭などの社会生活や人とのコミュニケーションに支障をきたすことはないのか、また、ファンは推しをもつことで自己肯定感を得ているといわれるが、それを失った場合、別の対象でそうした肯定感をもつことはできるのか、といった興味深い質問が投げかけられました。

君塚教授は、専門である芸術社会学やエンタテインメントの研究をふまえ、生徒たちに以下のようなコメントを行いました。

過去には、芸術家の「パトロン」や相撲の「タニマチ」など、主に経済的に豊かな人たちが支援を行ってきましたが、今日では、大小さまざまな支援を引き出すビジネスのしくみが整えられ、子どもから大人まであらゆる年齢や立場のファンが推し活に参加できるようになっています。

「ミーハー」や「オタク」という言葉が示すように、従来、ファンが何かの対象に熱狂する行為は社会のなかで、どちらかといえば否定的なニュアンスをこめて語られてきました。しかし、現在では、「推し」という言葉によってこうした行為に市民権が与えられ、どんな人でも熱狂や支援の対象をもつことは誇りとしてよいのだ、というコンセンサスが確立しつつあるように思われます。

そんな応援活動への参加は、ファンの人生や生活を大いに元気づける(エンパワーする)一方で、グッズやイベントなどあの手この手でお金を吸収するビジネスのあり方がファンからの「搾取」となっているのでは、と批判される面もあるようです。
ただ、推しを見るファンの目も徐々に肥えていくため、若い人も、のめり込みの限度やビジネスの手管の危うさに対して、少しずつ自分自身を守る判断を行えるようになっていくのでは、と君塚教授は生徒たちにコメントしました。

時代は変わっても、ファンたちが「推し」の何を「推す」のかという点は重要な意味をもちます。古くから指摘されるように、推しの対象への情熱はやはり「疑似恋愛」といいうるものなのか、あるいはそんな疑似恋愛を超えて何らかの「芸」といえるものを評価し、その切磋琢磨を応援するまなざしへと変わっていくのか、君塚教授はこの点を生徒たちに投げかけ、インタビューを終えました。

高校生によるこの調査は、昨今注目を集める推し活という現象について、たいへん興味深い問題を提起してくれる機会となったようです。今後、生徒たちは自校の生徒を対象に独自のアンケート調査などを行って、研究をさらに進める予定だとのことです。

(人文学部心理学科教授 君塚洋一)

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